議員ブログ
2025年12月4日

登戸研究所の悲しい歴史

 先月、後援会のイベントで、戦時中に毒ガス兵器、風船爆弾、秘密戦を担うスパイ道具や偽札づくりの研究、製造をしていた川崎市の明治大学キャンパス内に在る登戸研究所を見学してきました。

 アメリカに大打撃をあたえたいという当時の日本政府の愚かな考えで、風船爆弾を研究しているさなかに、上空1,000m付近に吹く『偏西風』があることを世界で初めて発見し、10代の子どもや女学生などが和紙を何千枚も貼り合わせ直径10mの気球に爆弾を吊るして、偏西風に乗せて9300発が1944年から45年春に飛ばされました。『偏西風』を発見したのが、この研究チームだったのは、とても辛い気持ちになります。さらに辛い気持ちになったのは、和紙を貼り合わせるのに使われたのは、こんにゃく芋からつくられた糊でした。この頃、食卓にこんにゃくがあがることはなかったそうです。そして、貼り合わせる作業をしている子どもたちは、お腹を空かせていることから、味のないこんにゃく糊をこっそり食べてしまうことが起き、食欲減退効果のある、青のインクを入れたものがあったというのだから、やりきれない思いになる。

 1,000発の風船爆弾がアメリカにまで流れていったと云われ、森に落ちていた不発弾にふれてしまった子どもたちと先生の6人が犠牲に、先生は、妊婦だったことから正確には、7人もの犠牲をうんだのだから、罪は深い。

 第二課は、生物兵器を開発し、中国人での人体実験などもしていたそうですが、1945年8月15日の終戦と同時に証拠は全て焼かれて残っていないそうです。ただ、40年前に発見された約900ページに及ぶ文書『雑書綴(ざっしょつづり)』で、研究所で何が行われていたのか、機密文書ではないなかでも読み取れる事柄が浮かび上がり、当時の日本政府がやろうとしていた戦術が見えてきます。アメリカの麦に打撃をあたえる虫を散布する。同じように牛を死滅させるための菌を散布する等々、本当にこんなので、アメリカが戦争をやめることを考えるのか、疑問しかないことを大真面目に、東大や京大などの優秀な人たちが集まって考えたというのだ。こんなに愚かなことをするために大学に行ったわけではないだろうにと、思えてならない。

 偽札を造っていた第三課は、日本が香港を占領した時に印刷機や原版、紙やインクを奪い取り登戸研究所に移送。これで、中国政府のお金の信用を失墜させるべく、紙幣を大量に印刷、使い古したお金に見せる加工まで施し、約25億元が実際に使われた、その流通の手助けをしたのが中国マフィアだったとも伝えられています。

 偽札を大量に刷ることができるようになったものの、戦争が長引き中国ではハイパーインフレが起き、物価が急騰。当時5元札や10元札の偽造をしていたが、インフレの影響で1000元札が登場。しかし、この1000元札の作りがあまりに粗雑で、本物の印刷機を所有している研究所では、その粗雑さが再現できずに4年間で40億元の偽札は、中国経済に対したインパクトを与えることもなく、計画終了。

 ここまでで、あまりに愚かなことで、情けなくなり、この先を書こうという気持ちがなえてしまう。まだ展示室がありますが、この先は、ご自身の目と耳で見て聞いて、感じていただきたい。ぜひ、明治大学キャンパス内で、学生気分を味わいながら、戦時中の市民の思いにも気持ちをはせる時間を過ごしていただきたいと思います。

 団体でお越しの方には、説明してくださる方が同行してくださいます。


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